分解消滅型生ゴミ処理機
江戸時代
当時の江戸は、ロンドン、パリ、北京と並び世界有数の人口を誇る大都市となっていました。捨てるなら何かに使おうという時代で、紙や古着など再利用、今で言うところのリユースが進んでいたことが知られています。生活の知恵を生かし、生活から発生する殆どの廃棄物を再利用していましたが、生ゴミのような再利用が難しく、少量のものは近くの空き地や川に捨てていたと思われます。当時の江戸は水路で結ばれており、ゴミの投棄が水上交通の妨げになったため、永代島などにゴミの埋立地を設けていました。実は江戸時代からゴミの埋め立ては始まっていました。

江戸時代

明治時代~大正時代
明治時代~大正時代公衆衛生の一環として、日本最初の廃棄物に関する法律として1900年4月1日「汚物掃除法」が公布、制定され、この時から、ごみとし尿の収集が地方行政の事務として位置付けられることになりました。ゴミはなるべく焼却処理でという方針を示しましたが、当時は埋め立てが一般的な処理方法であった事から、焼却炉はまだ殆ど存在していませんでした。焼却場建設は住民の反対運動から整備はいっこうに進まず、養豚や野焼きによる残飯処理といった方法が長く続きました。当時はそのような処理方法でも対応できるゴミの排出規模でした。
第二次世界大戦 直後
第二次世界大戦 直後敗戦直後のごみ処理は占領軍の要請、指揮で再開されることとなりました。戦災のごみ処理がまずは最初の仕事となりました。爆撃跡を瓦礫やごみで埋めたりしていたようです。また当時、廃棄物問題はゴミというよりも、主に汚物による公衆衛生の問題として認識されていました。

 
昭和20年後半~30年代
これまでゴミ処理は各自治体の責任で行われてきましたが多様化する廃棄物の増加に対応しきれず、昭和29年に『清掃法』が制定されました。 この法律は汚物の衛生的処理と生活の清潔化による公衆衛生の向上を目的として、汚物掃除法を継いで制定され、対象は汚物「ごみ、燃え殻、汚泥、糞尿および犬、ねこ等の死体」とされていました。清掃事業の実施主体を全国の自治体に拡大,市街地を中心とした汚物処理の区域を明確化することで,廃棄物処理体制の整備が進められました。一方、産業廃棄物は「多量の汚物」、「特殊の汚物」として個別に「指定する場所に運搬し、若しくは処分すべきことを命ずることができる」とするに留まっており、後日の公害問題を招くことに繋がっていきます。

昭和20年後半~30年代

昭和40年代
高度成長時代になり、公害問題が深刻化、各種工場から排出される、様々な有害物質による環境汚染が深刻化した結果、これらのゴミ処理に対する規制が急務となり、それにより高度な処理技術が求められる様になっていきました。大量消費社会の到来に伴う生活様式の劇的変化によりゴミの排出量が増大し、ゴミの質も人体への有害物質排出といった変化が生じ、水俣病に代表される大きな公害問題を抱えることとなりました。昭和32年からスタートしたゴミの島「夢の島」はその象徴です。このころから全国各都市でゴミが最大の都市問題となっていきました。これまでのデパートとともに新たにスーパーマーケットが普及し始め、商品のレジ袋の利用や従来以上の過剰包装が進みます。利便さに反し、ゴミの増加が進み、使い捨ての生活様式が当たり前の時代となっていきました。容器包装廃棄物に伴うプラスチック類や紙の消費の増加は、ゴミ焼却という新たな問題発生の火種となりました。

昭和40年代

昭和50年代~平成
当時のバブルに端を発し、事業系廃棄物や外食産業の廃棄物の大幅増加に、過剰梱包など家庭からのゴミも加わり、ゴミの発生量は増加し続けます。河川汚染・大気汚染などの公害問題、大量なゴミの不適切な燃焼方法によるダイオキシン問題等を経て、数々の公害問題発生により規制も強化され、「循環型社会形成推進基本法」が制定され、リデュース ・リユース ・リサイクル=3Rの考え方が導入され、1.リデュース 2.リユース 3.リサイクル 4.熱回収(サーマルリサイクル) 5.適正処分の優先順位で廃棄物処理およびリサイクルが行われるべきであると定めました。これをもとに「リサイクル法」や「グリーン購入法」などが相次いで制定され、「清掃法」も「廃棄物清掃法」に改訂され、社会問題になっていた産廃業者や排出者の責任が強化されました。各種リサイクル法の制定という法の整備とともに、ごみ問題やリサイクルに対する国民の認識が高まっていきました。

昭和50年代~平成